「自分が何をしたいのか分からない」
「なんとなくモヤモヤする」
「働きたい。でも、何が向いているのか分からない」
「このままでいいのかな」
ASTAGEには、最初から答えを持って来る必要はありません。
頭の中にはいろいろある。でも、うまく整理できない。何から考えればいいのかも分からない。
そんな状態を、ASTAGEでは、
「モジャモジャ」
と表現することがあります。

でも、このモジャモジャ。
私は、決して悪いものだとは思っていません。
むしろ、モジャモジャしているのは、実はいい状態なんじゃないかと思うことがあります。
モジャモジャしているのは、実は「いい状態」
もちろん、悩んで苦しいこと自体を「いいことだ」と言いたいわけではありません。
でも、
「このままでいいのかな」
「自分は本当はどうしたいんだろう」
「なんで自分は、こんなふうに感じるんだろう」
そんなふうにモジャモジャしているということは、自分の中で何かを考え始めている証拠でもあります。
何も感じなければ、モジャモジャもしません。
「どうでもいい」と思っていたら、悩むことさえないかもしれません。
モジャモジャするのは、
「今のままでは、何か違う」
と、自分の中の何かが動き始めているからかもしれない。
だからASTAGEでは、そのモジャモジャをすぐに消してしまおうとは考えません。
誰かが答えを教えて、早くスッキリさせることだけが支援ではないと思うからです。
そのモジャモジャの中には、**その人自身がこれから考えていくための「種」**があるのかもしれません。
モジャモジャを、すぐに答えにしない
ASTAGEでは、
書いてみる。
人と話してみる。
仲間の考えを聞いてみる。
外部から来てくださる人の人生や仕事の話を聞く。
会社や地域へ出て、実際の社会に触れてみる。
そして、自分でもやってみる。
そんな経験を大切にしています。

すぐに答えが出なくてもいいんです。
いろいろな人や考え方に触れていると、漠然としていたモジャモジャの中から、
「なんでだろう?」
「本当にそうなのかな?」
「自分は、どうしたいんだろう?」
という「ハテナ」が生まれることがあります。
モジャモジャが、少しずつ「問い」に変わっていく。
私は、この瞬間がとても大切だと思っています。
モジャモジャ → ハテナ → ピッカーン
その「ハテナ」を持ちながら、また考える。
人と話す。
人の考えを聞く。
社会に出て、やってみる。
すると、あるとき、
「あっ、そういうことか!」
と、自分なりの「ピッカーン」に出会うことがあります。
大きな答えでなくていいんです。
「自分は、こういうときにしんどくなるんだ」
「これは苦手だけど、こっちは好きかもしれない」
「一度、やってみようかな」
それも立派なピッカーンです。
そして、ここで終わりではありません。
生きていれば、また新しいモジャモジャがやってきます。
モジャモジャ → ハテナ → ピッカーン → またモジャモジャ。
私は、それでいいと思っています。
私たちは、それを「モジャリティ」と呼んでいます
ASTAGEでは、モジャモジャすることから逃げず、すぐに誰かの答えを求めるのでもなく、人と関わり、経験しながら、自分なりに考えていく力を、
「モジャリティ」
と呼んでいます。
いつも正しい答えを持っていることが大切なのではありません。
分からないことに出会ったときに、
「じゃあ、どうしよう?」
と考えられる。
必要なら人に聞く。
誰かと一緒に考える。
まず、やってみる。
違ったら、また考える。
それができれば、人生にまたモジャモジャがやってきても大丈夫です。
モジャモジャしている自分は、止まっているわけじゃない
ASTAGEのモットーは、
「社会に学ぶ、社会の中で学ぶ、社会の一員として学ぶ」
です。

社会に出れば、答えのないことにたくさん出会います。
仕事のこと。
人間関係のこと。
家族のこと。
そして、自分自身のこと。
だから、ASTAGEを卒業するときに、すべてのモジャモジャがなくなっている必要はありません。
むしろ、
「モジャモジャしても、大丈夫」
と思えるようになってほしい。
モジャモジャしている自分は、止まっているのではなく、次の一歩を考え始めている途中なのかもしれない。
自分で考えられる。
人に聞ける。
誰かと一緒に考えられる。
やってみて、違ったらまた考えられる。
そして、自分なりの一歩を選べる。
そんな**「モジャリティ」**を持って、社会の中を歩んでいってほしいと思っています。
モジャモジャは、なくすものではありません。
むしろ、
モジャモジャこそ、学びのはじまり。
なのかもしれません。
そして今日よりほんの少し、
「明日をちょっとご機嫌に。」
そんな毎日を、一緒につくっていけたらと思っています。

