― 立ち止まる時間も、人生の一部だと思う
しんどいことが続いているとき。
仕事がうまくいかない。
人間関係につまずく。
自分のことが嫌になる。
そんな渦中にいると、周りの声なんて聞こえなくなることがあります。
「大丈夫だよ」
「少し外に出てみたら?」
「そんなに考えすぎなくてもいいよ」
言ってくれている人に悪気がないことも、頭では分かっている。
でも、聞きたくない。
誰にも会いたくない。
何もしたくない。
もうどうでもいい、と投げやりになることだってある。
部屋に閉じこもって、外との関わりを全部断ちたくなることもあるでしょう。
私は、そんな時に無理やり前を向かなくてもいいと思っています。
渦中にいるときには、見えないものがある
少し時間が経ってから、
「あの人は、自分のことを心配して言ってくれていたんだな」
「あの経験があったから、今の自分があるのかもしれない」
と思えることがあります。
でも、それは後から分かることです。
渦中にいる本人に、
「いつか分かるよ」
「これもいい経験だよ」
と言ったところで、届かないこともあります。
むしろ、今の苦しさを軽く扱われたように感じるかもしれません。
だから私は、すぐにその感情から離れようとしなくてもいいと思うのです。
苦しいなら、苦しい。
腹が立つなら、腹が立つ。
誰にも会いたくないなら、そんな時もある。
その感情まで、
「こんな自分ではダメだ」
と否定しなくていい。
立ち止まる時間も、その人の人生
私自身、人生を振り返れば、うまくいかずに立ち止まった時期があります。
その最中は、その時間に意味があるなんて思えませんでした。
ただ、後になって振り返ると、立ち止まったからこそ考えたこともあるし、人の痛みが少し分かるようになったこともあります。
だから私は、立ち止まっている時間を全部「無駄」だとは思いません。
前へ進んでいる時間だけが人生ではない。
迷っている時間も、
動けない時間も、
人から離れたくなる時間も、
その人の人生の一部です。

ただし、これは、
「ずっと一人でいればいい」
ということでもありません。
無理に引っ張らない。でも、細い糸は切らない
ASTAGEでも、すぐに何かを変えようとすることだけが支援ではないと思っています。
「こうした方がいい」
「次はこれをやろう」
と答えを急ぐより、
今はまだ、動けない時なのかもしれない。
そう考えることもあります。
だからといって、放っておくわけでもありません。
声をかける。
話せる時には話す。
来られる時には来てもらう。
人の話を聞くだけでもいい。
その場に一緒にいるだけでもいい。
そして、助けを求められた時には、手を差し出せるようにしておく。
無理に外へ引っ張り出さない。
でも、人や社会との細い糸まで切らない。
私は、その距離感も大切だと思っています。

もちろん、自分の命や安全に関わるほど苦しい時まで、一人で抱える必要はありません。
自分からうまく言葉にできない時には、周りの人の力を借りてほしいと思います。
今すぐ、前を向かなくてもいい
渦中にいるときは、先のことなんて見えません。
今いる場所が、いつまで続くのかも分からない。
それでいいと思います。
今すぐ答えを出さなくてもいい。
無理に意味を見つけなくてもいい。
ただ、いつかほんの少し、外の声が聞こえる日が来るかもしれません。
「ちょっと話してみようかな」
「少しだけ外に出てみようかな」
そんな小さな変化から、また次が始まります。
人生には、走る時もあれば、立ち止まる時もあります。
前へ進む時間だけが、大切な時間ではありません。
立ち止まっている時間も、その人の人生の一部です。
そして今日よりほんの少し、
「明日をちょっとご機嫌に。」
今はまだそう思えなくても、その言葉がいつか届く日を、焦らず待ちたいと思います。

