― 自分もまた、誰かに許されながら生きている
人と関わっていると、
「その言い方は嫌だな」
「そこは苦手だな」
と思うことがあります。
それ自体は、ごく自然なことだと思います。
でも、一度その人の嫌な面が見えてしまうと、それから先、何を見てもその「嫌い」というフィルターを通して見てしまうことがあります。
何を言われても腹が立つ。
良いことをしていても、素直に受け取れない。
そして、
「あの人は嫌い」
「もう関わりたくない」
と、その人の全部を拒絶してしまう。
そんなとき、少しだけ考えてみたいのです。
その人の嫌なところが、その人の全部だろうか。
人には、長所も短所もある
優しいけれど、少し言い方がきつい人。
仕事は丁寧だけれど、人との関わりが不器用な人。
明るくて楽しいけれど、ときどき周りが見えなくなる人。
人間は、そんなにきれいに一面だけでできていません。
良いところもあれば、苦手なところもある。
そして、それは自分も同じです。

自分は、どうだろう
誰かの言動が嫌だったとき、
相手を批判することは簡単です。
でも、もし自分にも少し非があったとしたら、どうでしょう。
自分も感情的になっていなかったか。
相手の話を最後まで聞いていただろうか。
自分の伝え方はどうだったか。
言われる前に、自分からできることはなかったか。
もちろん、何でも「自分が悪い」と考える必要はありません。
相手に問題があることもあります。
理不尽なことまで我慢する必要もありません。
でも、
「相手が悪い」で終わらせず、自分にもできたことはなかっただろうか
と考えてみる。
そこに、次につながるヒントがあることがあります。
自分も、誰かに許されている
そしてもう一つ、忘れたくないことがあります。
自分だって、いつも完璧ではありません。
誰かをイライラさせたこともあるでしょう。
知らないうちに、誰かを傷つけたこともあるかもしれません。
失敗した。
迷惑をかけた。
間違えた。
それでも今日まで、いろいろな人が自分と付き合ってくれています。
助けてもらった。
待ってもらった。
教えてもらった。
大目に見てもらった。
そして時には、
許してもらった。
自分もまた、周りの人の寛容さや優しさの中で生きているのだと思います。

好きになる必要はない
だからといって、誰とでも仲良くしなければならない、という話ではありません。
苦手な人はいていい。
距離を取った方がいい相手もいます。
でも、
「ここは苦手。でも、こういうところはいい」
「あの出来事は嫌だった。でも、その人の全部が嫌なわけではない」
そんなふうに、一部分と全体を分けて見ることができると、人との付き合い方は少し変わってきます。
相手を変えることはできなくても、自分の見方や関わり方は変えられることがあります。
それは、相手のためだけではありません。
自分自身が、人間関係の中で少し生きやすくなるためでもあります。
人には、長所も短所もある。
自分にも、長所も短所もある。
そして私たちは、知らないところで誰かに助けてもらい、待ってもらい、許してもらいながら生きています。
だからこそ、
一つの嫌なところだけで、その人の全部を決めてしまわない。
そんな見方ができることも、社会の中で生きていく力の一つなのだと思います。
そして今日よりほんの少し、
「明日をちょっとご機嫌に。」
そんな毎日を、一緒につくっていけたらと思っています。

